魚屋の大将

ある年の夕暮れどき、お客様のご自宅から通夜会場へ、私が霊柩車を運転したときのことです。
故人の棺を乗せた霊柩車には、奥様がご乗車されました。
途中、社内で奥様が私に「主人の店に寄り道してもらえますか? 最期のお別れをさせてあげたいので」と言われました。
私は言われる道順のままに、霊柩車を走らせました。
 
商店の立ち並ぶ細い路地、夕方の時間帯ということもあって、大勢の買い物客が見えます。
「路地の奥まで入りますか?」と、私がたずねると、「店はすぐそこなんですけど……」と奥様も迷われていました。たしかに黒色の霊柩車が入って行くのは場違いな感じがします。
そのときでした。路地から声が聞こえました。
「おやっさん」
高校生ぐらいでしょうか、あどけない表情をした男の子が、前かけをつけたまま、こちらに走ってきました。
「健ちゃん」
奥様が驚いたように声をかけました。
「おやっさん。来てくれたんですね。店まで、ぼくが誘導します」と彼はそう言うと、「すみません」「すみません」と行き交う買い物客に声をかけながら霊柩車を先導し始めたのです。
私は霊柩車をゆっくり路地の奥へ進めました。突然の出来事に、買い物客が運転手の私のことを不思議そうな顔で見ています。故人の経営されていた店の前に来ました。
そのお店とは、魚屋さんでした。
店主が亡くなったというのに通常営業しており、「いらっしゃい、いらっしゃい」と何人かの従業員の元気な声が、商店街にこだましています。
霊柩車が止まると、「おやっさん! おやっさん!」と従業員たちが仕事の手をとめて集まってきました。
“健ちゃん”と呼ばれた彼は、いつのまにか泣いていました。
夕暮れ時の商店街の路地。買物中の主婦達が三十人ほど霊柩車の回りを取り囲みました。「どうしたの?」「おやっさん、亡くなったの?」「魚屋の大将、亡くなったの?」と買い物客は初めて聞く訃報に言葉を失っていました。
店にすこしだけ立ち寄る予定だったのが、入れ替わり立ち替わり、人が集まってくるのでなかなか出発できません。通夜の時間も迫ってきました。
喪主の奥様が、みなさんにお礼の頭を下げて、やっと出発することになりました。
従業員も近所の買い物客も、みんなが泣いていました。
ハンドルを握って運転している私の耳には「ありがとう、おやっさん」「さようなら」という言葉がいつまでも聞こえてきました。
「おとうちゃん、よかったね。おとうちゃんは、幸せものだよ」
奥様が故人に話しかけている傍らで、私は涙で車の前が見えなくなっていました。
 
故人は生前、従業員たちへこう言っていたそうです。
「俺が死んでも、店は閉めるな。店を閉めるとお客が困るからな」
後から奥様にこのことを聞いて、故人の人柄とその人望の厚さに、私は感動し、涙が出ました。
誘導してくれた健ちゃんは、不登校だった彼をおやっさんが店で働かせるようにしていたこともあって、父親以上に慕っていたそうです。
人に愛されることの素晴らしさ、愛されている人から最期を見送られることがどんなに幸せなことなのか。私は「魚屋の大将」に教わりました。
一度、大将の店で買い物をしてみたかったと思いました。

37歳 男性 H・O(メモリアルスタッフが見た、感動の実話集『最期のセレモニー』より)

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